ありがとう、りみー

愛猫のりみーが3月6日の土曜日・午前中に旅立ちました。

10歳でした。

その時間帯は私がブログを書いていた頃。

何回となく母に電話をしようと思いましたが土曜日なので

午前中に点滴に行ってるかもしれないと思って止めました。

でもやっぱりかけたくなってベルを鳴らすと一回で出てきました。

丁度私に電話をする所だった、と。

今年の里帰りでもいつものように元気だったりみーが

2月の終わりになって食べても吐く、あまり食べない状態になりました。

1日、2日様子を見ましたが食欲が戻らなかったのと明け方に

異常な鳴き方をしたそうなので動物病院へ連れて行きました。

その時既に腎臓の機能がゼロの危篤状態でした。

体温も35度でいつ逝ってもおかしくないほど。

お医者さんは入院させましょうとおっしゃったらしいですが、

病院に置いておくとりみーが寂しがるので母が通院しますと

言ったそうです。

もう手の施しようもなく、自力で食べることもできない状態。

点滴で一秒でも長く生きていられるようにするので精一杯でした。

あまりにも突然過ぎて現実が分かりませんでした。

2000年に無邪気な仔猫がやってきてまだ10歳です。

毎年里帰りの度にりみーを抱っこしていました。

りみーの状態は一日ずつ悪くなってきました。

4kgあった体重が3kgに減ったそうです。

骨と皮だけ、目も活力がないと言ってました。

それでも点滴のおかげで何とか息をしている。

先週の木曜あたりから今日の夜中もつか、もたないかと言われながらも

金曜日の夜中も持った、そして土曜日の朝となり、朝一番で点滴を受けました。

お腹一杯になった所で家に戻ってほんの数十分後。

一瞬目をパッとまん丸に開き、ニャッとひと鳴きしたそうです。

そして母の足元で安らかに眠りにつきました。

土曜日は体温既に33度代。

点滴の間、よく頑張ってくれたものです。

我が家に戻り、私が宮古に来てからず〜と面倒をみて共に暮らしていた

母のそばで旅立つことができました。

猫より犬派の母ではありましたが、本当によく可愛がってくれました。

私がこちらに来てからは自分の子扱い。

親ばかもいいところです。

突然の危篤状態ではありましたが、その現実を聞いてから1週間

頑張ってくれました。

私達に心の準備と整理ができるように与えてくれた

りみーからの恩返しだったに違いありません。

こんなに離れて暮らしている私ですら毎日涙が出てしまうのに、

母だったらどんなでしょう?

祖母もまだ入院中とあって、母のことが心配です。

母から「りみーはもうだめや、さっき」と聞いて、

母に「ありがとう、お疲れさんでした」と声をかけました。

りみーの亡骸は明日火葬するらしいです。

動物病院からだと市として処分するらしいので、

メモリアルパークというところにお願いしてりみー一体だけの

火葬にしてもらうそうです。

これからは神戸に帰ってもりみーは居ないんだね。

寂しいです。

独身の頃は彼氏でもあり、息子でもあった存在ですから。

いつも私のそばにくっついていました。

ゴロゴロとのどを鳴らすのをもう聞くことはできません。

でも姿かたちはなくとも、心の中ではずっと生き続けています。

今まで沢山の楽しさを与えてくれて本当にありがとう、りみー。

りみーのキョロキョロお友達がHPで綴ってくれています。

お友達、ありがとう。

命って儚いね、

だからこそ尊いんだね。